ブログ引っ越しのお知らせ
苦難を通して歓喜へ [田島氏の随筆集]
フロイデ!フロイデ!(がん患者の第九合唱への参加) [田島氏の随筆集]
歌の心 [田島氏の随筆集]
80の手習い [田島氏の随筆集]
しかし、家内が急死したときは、私も悲しみにくれて何もできなかった。しかし、ある日のこと家内の跡を誰が継ぐのかと思ったとき、私がやらなければと気が付いた。家内は若い頃から歌のレッスンを受けた本格派で、その歌は上手だった。それに反して私はカラオケに行ったこともないし、コールアカデミーに入ったこともない。全くの素人だった。あとを継ぐといったって継げるわけがない。しかし家内の亡くなった後に行くようになったカラオケグループと共に歌うようになって、私もしっかり歌の練習をして、利用者の皆さんに良い歌を届けようと決意した。
大雪と過疎化現象 [田島氏の随筆集]
今年は、西日本帆がし日本の日本海側や北海道で大雪が降った。テレビで雪のために苦しむ人の姿を見るたびに、大変だなぁ、苦しいだろうなぁ、早く春がくればいいなぁと祈らざるを得なかった。
東京には雪は少ししか降らなかった。もし、大雪だったら、私たちの生活は大変な苦労を強いられて苦しんだことだろう。
北国の人々は、特に老齢化し方々は、このつらさに耐えかねて、故郷を離れる方々も出てくる。しかし、それは簡単んできることではない。永年育った土地・生活を支える仕事・そして親兄弟との協同生活・それらを捨てて、雪の降らない暖かい土地に移住するというが、それは本当に大変な事なのだ。しかし、あの大雪では病院・薬局・コンビニ・スーパーにも行けないとなったら、どうやって生きて行くのであろうか。これでは苦悩の末に故郷を離れる人々が出てくるのは避けられない。
しかし、若い人はまだいい。老人はどうするのか。
中年の人も未知の都会で、どんな仕事をして生活をたてていくのか。しかし、大雪に閉じ込められては、生きるためには決断するしかなくなってしまう。
それらのことを思って、私には涙なしでは考えられない事ばかりだ。
昭和何年だったか、やはり日本は豪雪に見舞われたことがあった。その時、苦渋の決断の後、人々は一斉に故郷を離れていった。これは「過疎化現象」と呼ばれた。それ以降も同様な過疎化現象は起こって、雪国では若い人がいなくなってしまったという。政治も経済も全s力を尽くして戦わないこの過疎化現象は防げない。
大都会には人が集まり、雪国には人がいなくなる。北方四島の返還どころの問題ではない。村々の消滅現象が起こっているのだ。新幹線網・高速道路網の建設・整備もいいが、国も地方も、政治も経済も一体となって、この過疎化対策に取り組まなければ間に合わなくなる。雪国にも未来を作って行こう。国土を保全に行こう。私はそう思う。
29.2.22
田島信威
日本人の特技 [田島氏の随筆集]
日本人の手先の器用さは、世界的なものがあるらしい。私どもはあまり意識していないが、外国人と共同作業するとき、それがはっきり顕在化する。私の大学の生物の先生が言っていたことだが、国際的実験作業の場で、器具を使って仕事をしたとき、手先の器用さを外国人から賞賛されたという。自分はそれまで日本人の中で器用だと言われたことはなかったし、特に器用だと思ったこともなかったが、外国人の学者の目にはとても微細な技術の持ち主と見えたらしい。
テレビ番組の中でも、匠の技として最近は良く紹介されているが 、伝統の技術には外国人の驚嘆するようなものがあるらしい。私どもは日本人特有の器用さを大いに誇りに思っていいようだ。
その器用さは、ごはんを食べるときの箸の使い方や字を書くときの箸の使い方からくるものではないかと思われる。箸も筆も日本人はみんな小さいころから徹底的に教え込まれる。そしてみんな一通りの技術は身に付けている。だからとりたてて意識はしないが、そのようなトレーニングの場のない外国人の目からは、なんと器用な事だと思われるらしい。
そしてそれは、事実として存在する。日本人はミリ単位の仕事を完璧にやってのける能力はみんな持っている。それが文化・技術・医療・科学などの発展にどれだけ貢献しているかは気が付かないだけなのだ。
外国人は、みなそのレベルの高さを賞賛する。
NASAの宇宙ロケットも、日本のビス1本がなければ飛ばないといわれている。
普通の人にとってもそうなのだから、日本人の中でも名人芸と称えられる技術者は、世界に通用する優れものとして高く評価されている。それは「匠のわざ」といって特に大事にされている。
私たちは、その器用さを誇りに思っていい。そのような器用な手先を持っていることを認識して、文化・技術・医療・工芸・その他の各分野に大活躍してくださるよう、私はこれからの若い人たちに特に期待しているのである。
29.2.16
田島信威
セルフネグレクト [田島氏の随筆集]
偉い人とは、どんな人か? [田島氏の随筆集]
恒例のデイケアセンターに出席した時のこと、リーダーの人が出席者一同に質問を投げかけた。
「皆さん、『偉い人』とはどんな人のことをいうと思いますか?」
これに対して出席者一同は次のように答えた。
1.大臣とか議員のように、選挙で選ばれた人
2.社長・重役のように、企業のトップになった人
3.大学教授や〇〇博士のように、学問的業績をあげた人
4.民間企業でも、公務員でも、高い地位に就いた人
5.ノーベル賞をはじめ 、各種の勲章をもらった人
リーダーから、「田島さんはどう思いますか」 と質問された。
私は次のように答えた。
「偉い人とは、他人の為に尽くす人のことをいうと思います。世間から認められようと、否とにかかわらず、苦しむ人、悩む人を助けようとする人が偉い人だと思います。」
私も色々と考えた。
立派な作品を残した文学者、音楽家、芸術家、人類の幸せのために尽くした野口英世のような医学者やたくさんの科学者も私の心に浮かんだが、それらの人々もさることながら、日々の生活の中で、他社への愛から、苦しむ人、悩む人を助けようとして、日夜努力している人が偉い人なのではないか。
業績のある、なしにかかわらず、人のために尽くしている人はみんな「偉い人」なのだと思う。
皆さんの答えとは、基準の取り方が違うなと思いながらも、私は自信をもって答えた。
私に言わせれば、「偉い人」というのは、金持ち・社長・大臣・高級官僚などではなく、その一生の間に、少しでも他人の幸せのために働いた人、優しい思いやりのある言葉をかけた人、心のきれいな愛の人、そのような人が偉い人なのだ、と私は思う。結果ではなく、生き方の問題なのだと私は思う。
29.1.31
田島信威
老人の涙 [田島氏の随筆集]
私も老人になった。
カラオケで歌っている時、その歌の歌詞に感動してしまって、つい涙が出てしまうことがある。
若いころはにはそんなことはなかったから、老人になって涙もろくなったということか。
涙が出るのはカラオケだけでない。
テレビを見ている時も、大災害があって多数の人が亡くなったというような報道に接するときには、
つい涙ぐんでしまう。
大変だなぁ、つらいだろうな、悲しいだろうなという思いが胸に浮かんできて涙ぐんでしまう。
若いころは、「私は男だ」と力んで悲しくとも涙は見せなかった。
しかし、年を取ってからは、だめだ。
人前で涙を見せることは、恥ずかしい事だという意識はある。
しかし、だめだ。
自分も多くの悩み、苦しみ、悲しみを経験してきたので、
他人の気持ちがよく分かってしまって、
涙が出てくるようになった。
これは生理現象だから止めようがない。
弱くなったなぁ、と思う。しかし、抑えられないものを抑えなくとも仕方がないのではなかろうか。
人前で涙を流すことも老化現象のひとつだから、お許しいただくしかないことだ。
平成29.1.20
田島信威