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80の手習い [田島氏の随筆集]

私は3年前から介護施設でカラオケに合わせて歌を歌っている。3年前とは私の家内がなくなった時を指す。家内は施設のカラオケサークで皆を上手な歌で慰めていた。
 しかし、家内が急死したときは、私も悲しみにくれて何もできなかった。しかし、ある日のこと家内の跡を誰が継ぐのかと思ったとき、私がやらなければと気が付いた。家内は若い頃から歌のレッスンを受けた本格派で、その歌は上手だった。それに反して私はカラオケに行ったこともないし、コールアカデミーに入ったこともない。全くの素人だった。あとを継ぐといったって継げるわけがない。しかし家内の亡くなった後に行くようになったカラオケグループと共に歌うようになって、私もしっかり歌の練習をして、利用者の皆さんに良い歌を届けようと決意した。

カラオケマイクを買い込んでテレビにセットして毎日練習を始めた。

私の言っているデイケアセンターには、何人もの歌の上手な人がいて、私はその方々に本格的に指導をしてもらっている。発生の仕方からこぶしの使い方、曲想の表現方法に至るまで、徹底的に教わった。まだまだ3年目で上手になったわけではないが、本格的なレッスンを受け、カラオケマイクで練習に励んでいる。

私の努力を認めてくれて、私の歌をほめてくれる人がいた。私は家内に代わって歌をほめられたのが本当にうれしかった。これからも一生懸命練習して、本格的にやろうと決意した。

 前途遼遠だが、志を立てた以上、恐れず、ひるまず、全力を尽くして、歌の練習をしようと思う。それが亡くなった家内の思いにこたえる所以だと思っている。

 いずれにしても、何かをことを始めるのに、年齢は関係ない。どんなに年をとっていても、やる気でやれば、できることも多い。要は、いかに一生懸命やるかだ。多くの人が年を忘れて、おのが第2、第3の人生を強く、たくましく生きて行ってほしい。

 

 27.3.14 田島信威





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